躁鬱病患者が世の中を考えてみる。

中学二年の時に双極性鬱病が発覚して五年。若輩者がそれなりに苦労し培ってきた物の考え方を聞いていただきたいと思いブログを立ち上げました。

未成年が“大人”を考えてみる

私は現在19歳。

この夏に誕生日を迎えるので満20歳、成人だ。

 

私は成人が“大人”とは思わない。

毎年成人式の報道で流れる、地に足つけぬ奇行の数々を繰り返す人々を大人と呼ぶのはどうにも無理があるように感じる。

 

そもそも、私には大人が理解できない。

 

20歳になると何が変わるか。

酒が飲めるようになる、タバコが吸えるようになる、競馬などの博打ができる。

 

正直私には、いいもののようには思えない。

 

人は泥酔すると思考が鈍り、他人に迷惑をかけたりする恐れがある。

喫煙は体に悪い。

博打は金遣いや性格を荒くする。

 

これは未成年者の偏見と先入観たっぷりの歪んだ意見だが、“式”と謳われる記念行事でバカ騒ぎをしている連中が酒なんか飲んだら、人様に迷惑かけるに決まっているではないか、と思ってしまう。

 

無論皆が皆そうではないが、それでも同じ物を同じ量飲んだらといって私がスクランブル交差点のポールによじ登るようになるのか。

 

結局彼らは逃げているのではないか。

 

『だって酒を飲んだから』『だって記念だから』『だってW杯で日本が勝ったから』

 

大人は言い訳を探しているのではないか。

本当は心の奥に押し込んでいる闇の部分が、酒を引き金として表に出てきているだけではないのか。

 

そう考えると、駅のホームに貼ってあるポスターの『お酒の失敗じゃない、あなたの失敗です』という言葉の重みが、ぐっと増す気がする。

 

大人は大変、とよく聞くし、迷惑さえかけなければ好きに楽しんでもらって構わないとも思うのだが、それにしても20歳は大人にはまだ早い気がする。

 

まあ競馬場が赤いちゃんちゃんこ着たじいちゃんばあちゃんで埋め尽くされているのも、それはそれで嫌なのだが。

 

 

ひどく冗漫な文章になってしまったが、私が言いたいのは『大人なんだから容量を守って、しっかり楽しもう』という、月並みな意見だ。

 

だがまあ、とどのつまり、私も自分自身の闇をこうして吐き出すための言い訳を探していたのだろう。

 

語り口が偉そうになってしまったり、人を小ばかにしたように聞こえていたら本当にごめんなさい。

 

でも、許してもらいたいです。

 だって自分のブログだから。 


これで私も大人の仲間入りか。