躁鬱病患者が世の中を考えてみる。

中学二年の時に双極性鬱病が発覚して五年。若輩者がそれなりに苦労し培ってきた物の考え方を聞いていただきたいと思いブログを立ち上げました。

SNS初心者が誹謗中傷を考えてみる。

ピエロといえば、恐怖すら感じる白塗りの顔にトナカイ並の真っ赤の鼻が特徴だと思う。

こんな奇々怪々な見た目のヤツが何をするかって、皆を楽しませる。
ただ、それだけ。


ピエロの元は古代エジプトの奴隷だとか、まあ、この際そこら辺は置いておいて欲しい。

仮に、元が奴隷だったとしても、その後の時代にピエロもしくはクラウンとして活動している人々は奴隷じゃないわけだし。


何が言いたいかと言うと、ピエロという人物が存在を確立し、その活動を続けていくというのは大変で、それらを行うのは並大抵の覚悟じゃできないのではないかと感じたわだ。

芸を学び、顔を白く塗り、いざ街へでてみても全てが順調に行くとは思えない。

それでも、彼らが活動を続けて行ったのは人々を楽しませる、という純粋な気持ちからではないか。


ところで、ピエロが顔を白く塗る理由。

私はこれを、存在を隠すためだと思う。
というか、そうであったらいいなって思う。

人知れず皆を楽しませる喜劇人なんて、格好いいではないか。


現在、SNS、得にTwitterは匿名で活動をしている人間がほとんどだ。

一番の理由は個人情報や、自身を守るためではあるのだが、その匿名性にかこつけて他人の誹謗中傷ばかりしている人間はどうかなと思ってしまう。

誹謗中傷が生むのはマイナスなイメージだ。
マイナスな物は、どこかで必ず誰かを傷つける。

どうせなら人を笑わせるような事をしたいものだと、私は思う。

格好いい存在の隠し方。

彼らピエロは最も格好良さから離れたようなところにいて、その実最も伊達なヤツらなんじゃないか。



なんだかピエロに愛情を抱けてきた。
これなら、昔途中で見るのをやめた『IT』も見れるかもしれない。



············予告だけ見てやめた。

雑記:戦隊と色

 

精神医学では見ている色で時間の進み方が時間の進み方が変わったり、心が落ち着いたりすると本で読んだ事がある。

 

白がどんな影響を与えるのかは存じ上げないが、願わくば、今その色を見ている皆様にいい影響を与えていますように。

 

今週のお題が“好きな色、イロイロ”、らしいので色に関する話をする。

 

私は戦隊シリーズが好きだ。

そこまで多くの作品見ているわけではないが、それでも好きだ。

 

特にブラックやグリーンが好きだ。

 

これらの色のヒーローは、どうにもひねくれものや生意気なイメージがある。

ボウケンブラックやシンケングリーンみたいな。

 

伝わらない人には申し訳ないが、とにかく私は、ひねくれものが好きだと言う事だ。

 

逆にレッドの事は、そんなに好きではない。

彼らは優遇した扱いをされ、いつも先に強化形態をもらう。

 

当たり前の事ではあるのだが、それでも私には羨ましく感じてしまうのだ。

 

レッドになれない私の心はブルーだ。

 

 

 

色の白いは七難隠す。

 

冗漫なこの文章が、白の背景でちゃんと隠せていますように。

 

 

ちなみに白には“空虚”のイメージもあるんだそう。

 

かましいわ。

未成年が“大人”を考えてみる

私は現在19歳。

この夏に誕生日を迎えるので満20歳、成人だ。

 

私は成人が“大人”とは思わない。

毎年成人式の報道で流れる、地に足つけぬ奇行の数々を繰り返す人々を大人と呼ぶのはどうにも無理があるように感じる。

 

そもそも、私には大人が理解できない。

 

20歳になると何が変わるか。

酒が飲めるようになる、タバコが吸えるようになる、競馬などの博打ができる。

 

正直私には、いいもののようには思えない。

 

人は泥酔すると思考が鈍り、他人に迷惑をかけたりする恐れがある。

喫煙は体に悪い。

博打は金遣いや性格を荒くする。

 

これは未成年者の偏見と先入観たっぷりの歪んだ意見だが、“式”と謳われる記念行事でバカ騒ぎをしている連中が酒なんか飲んだら、人様に迷惑かけるに決まっているではないか、と思ってしまう。

 

無論皆が皆そうではないが、それでも同じ物を同じ量飲んだらといって私がスクランブル交差点のポールによじ登るようになるのか。

 

結局彼らは逃げているのではないか。

 

『だって酒を飲んだから』『だって記念だから』『だってW杯で日本が勝ったから』

 

大人は言い訳を探しているのではないか。

本当は心の奥に押し込んでいる闇の部分が、酒を引き金として表に出てきているだけではないのか。

 

そう考えると、駅のホームに貼ってあるポスターの『お酒の失敗じゃない、あなたの失敗です』という言葉の重みが、ぐっと増す気がする。

 

大人は大変、とよく聞くし、迷惑さえかけなければ好きに楽しんでもらって構わないとも思うのだが、それにしても20歳は大人にはまだ早い気がする。

 

まあ競馬場が赤いちゃんちゃんこ着たじいちゃんばあちゃんで埋め尽くされているのも、それはそれで嫌なのだが。

 

 

ひどく冗漫な文章になってしまったが、私が言いたいのは『大人なんだから容量を守って、しっかり楽しもう』という、月並みな意見だ。

 

だがまあ、とどのつまり、私も自分自身の闇をこうして吐き出すための言い訳を探していたのだろう。

 

語り口が偉そうになってしまったり、人を小ばかにしたように聞こえていたら本当にごめんなさい。

 

でも、許してもらいたいです。

 だって自分のブログだから。 


これで私も大人の仲間入りか。